坂戸山の構造と内堀について

今日は山城の基本的構造について紹介したいと思います。
で、見て頂きたいのがこちらのホームページ。

岩櫃城興亡史~強者どもが夢の跡~
中世城郭の基礎知識

色々なサイトを見ましたが、こちらのイラストが一番わかりやすいです。
山城の構造について実にわかりやすく、まとめてあります。助かります。

マネをして私も図を書いてみようと思いましたが非常に難しい。
こういうときに算数、数学をもう少し学んでいれば良かったなぁ…と思い知らされます。
のでチビッコの諸君!!授業中は寝ないように、先生の話をよく聴くようにしましょうね♪

視覚情報ってのはエラいもんで、いくら本を読んでもイメージできないことが、イラストをみただけでパッと理解できます。私がなんだかんだと説明するより、こちらのサイトを参考にしてもらったほうがいい!!他力本願寺!!

ということで山城の構造…例えば「堀切」とか「竪堀」とか「虎口」などの山城の構造についての専門用語が度々でてくることになると思いますが、わからなくなった、もしくはイメージが浮かばない…なんて時は上記のリンクから飛んでいただき、何度も確認しながら読み進めて理解を深めていただき鯛。

堀(ほり)は、敵や動物の侵入を防ぐため、古代から近世にわたって、城、寺、豪族の住居、集落、古墳などの周囲に掘られた溝のことである。

容易に越えることができない幅と深さをもっている。水が張られている堀を水堀(みずぼり)といい、水の張られていない堀のことを空堀(からぼり)という。お堀ともいう。水堀に“濠”、空堀に“壕”“隍(阜部に皇)”という字を用いることもある。「隍」は、国衙や都にめぐらせた堀ともされる。堀は人工的に作られたものであるが、もともと流れていた河川などの地形を利用した場合、“天然の堀”と呼ぶことがある。
掘った結果生じる土は、多くの場合、堀の脇に積み上げて土塁としている。弥生時代の環濠集落では堀の外側に土塁を築き、古代の水城・中世・近世では堀の内側に土塁を築いている。wikipedia

坂戸山から250mくらい離れたところに「魚野川」という川が流れています。坂戸山が六日町町民のソウルマウンテンならば、魚野川はさしずめソウルリバーみたいなものです。
この魚野川は坂戸山の外堀になっています。正真正銘天然の外堀です。

そして、もうひとつ内堀と呼んでいいのかどうかわかりませんが内堀の残りのような堀が存在します。薬師尾根登り口の80mくらい手前でしょうか?

 

冬になると銭淵公園からカモが引っ越してくるこの池!これも堀の跡なんですね~。
一昨年の水害時はこのあたり、かなりの被害を受けていたので(ここよりもう少し奥のさいたま山の家の辺りは特に酷かったです)他のところよりも低くなっていているようです。

『図説中世の越後』によると<往時、城内の最も大事な防御線として利用されたこの堀は、おそらく魚野川の旧河跡を利用し、これに人工を加えて出来上がったものと思われる。>とあります。

往時=昔

そして下坂戸集落内の堀幅が最も狭かったようで橋を架けるのにも適していたようで、城内に通じる大手口(正面の出入り口、表玄関)でもありました。

そしてさらに<集落から北の方は、往時は魚野川が蛇行し、坂戸城の北の尾根が西に回り込んで落ちる埼に淵(銭ヶ淵)をつくり天然の要害をなしていた。また、集落から南の方は薬師尾根の埼に直接堀が接し、敵の侵入を防ぐようになっていた>となっています。

銭淵公園の裏手側にある尾根からの侵入を防ぐ役割が銭淵にはあったんですね~。
こりゃ驚いた!!

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