坂戸山城の成り立ちと特徴をまとめてみました。

では、今日は坂戸山(坂戸山城)の成り立ちについて調べたことを書いてみよう。

時は南北朝時代に遡ります。

※南北朝時代とは鎌倉時代後期~室町時代初期(1336~1392)皇室が南北に分裂した時代。

もちろん坂戸山自体はその遥か昔から存在していたわけですが、山城として築いたのは南北朝時代の初期、越後を治めていた新田氏の一族が最初のようです。

その後、上杉氏が新田氏を放逐し上杉が越後の守護(司令官)になります。

(1352~1355)上田(旧南魚沼郡のあたり)にある坂戸城に配置されたのが上杉氏の家臣の長尾氏。

「上田長尾氏」と呼ばれ上田庄を預かり関東平野を結ぶ陸上交通の抑えとして、また魚野川を利用した河川交通の要所として坂戸山は重要な役割を担うことになります。

 

時は過ぎ室町時代に入ります。

1512年に長尾房長(景勝の祖父)が本格的に坂戸城の築城にあたります。

1510年に「長森原の戦い」が現在の城内地域・長森のあたりで起こり内乱があったこともひとつの要因ではないかと思われます。

関東管領・上杉顕定が謙信の父である長尾為景にこの地で討たれました。

下原新田に管領塚史跡公園として残っています。

六日町方面から向かって291沿いの右手ですね。

 

さてここで「山城」について書いてみます。

①でも書きましたが天守閣や大きな門がある一般的にイメージされる『お城』とは全く違うものです。

山を削ったり、盛ったりして天然の要塞(専門用語では要害というらしい)を作りました。

山城に適するのは比較的低山であり遠くまで見渡せることが絶対条件となると思われます。あんまり高すぎれば行ったり来たりが大変でしょうし、低すぎれば攻め込まれやすいし眺望が悪くなってしまいます。

 

そういった意味では坂戸山ほどうってつけの山はなかったのではないでしょうか?

高さも頃合いでしょうし、適度に急峻なところもあります。

夏場にあれだけ老若男女が登ってるわけですから、それほど難しい山ではありませんよね。

そして山頂から魚沼盆地が一望できます。さらに7合目のあたりには水場もあり、いたれりつくセリーヌディオンです。

 

山の上に居住施設を作ることは当時の技術では難しかったと思われますので、侍たちは普段は城下で生活し有事の際に山城に立て籠もり戦に備えたそうです。

昔の人はどれくらいの時間で上まで登ったんでしょうね~?

今より道は悪いでしょうからね~。いやでも昔の人の方が足腰強そうだからな~。

こういうこと考えだすと歴史って楽しいですよね☆

 

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