長尾政景公を謀殺したのは誰か?

先日、南魚沼市市民会館にて上田史談会主催の「長尾政景の死の謎を検証する」という催しに参加してきました。

会場は地元の歴史野郎に歴史淑女たちでごった返していました。

なぜかお茶とおやつも用意されていて和やかな中、史談会会長の大嶋さんからのお話が始まりました。

まず一般的な政景の死因について…

①舟遊び中に泥酔し池に落ちて死ぬ
②宇佐美定満という家臣が政景抹殺のために道連れの溺死
③下平修理という家臣に怨恨により殺された
④元々は敵対していた謙信に謀殺された など

いずれも船に乗っていて溺死するというところは一致しています。
亡くなった場所についても諸説あります。

A・南魚沼市六日町の銭淵(野田尻淵)
B・長野県信濃町にある野尻湖

歴史はもちろん闇の中…ですが、それでは面白くありません。

長い間、①や②の死因、亡くなった場所についてはBの説が有力だったようです。
が研究が進んできて色んな資料が新たに見つかったそうです。

そのひとつが「古城微考」。著者は不明。その中に…

魚沼郡上田庄 坂戸古城の山麓に在り昔時は 野田尻乃淵 と云う 永禄年中の夏政景公妻有の下平修理吉長と鮎の川狩りを興行して船中にて酒宴す 如何なる故に哉 論争に及び 相対して御死去せし所なり 政景公の従士少しく御供死せり

とあります。

要するに…野田尻淵(銭淵)で政景と下平修理が酒を呑みながら鮎釣りをして、そのうち口論になり揉みあっている際に船から転落し溺死した…ということのようです。

③の下平修理説が急浮上!!
というようなお話がありました。

詳しくはまた次回!!

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