戦国時代の山城にある曲輪(郭)と切岸について図説する

今日は山城のイロハを書き連ねたもう。
 

まずは「曲輪(くるわ)と呼ばれる部分についてのお話。

「郭」とも書きます。

ここ大事なとこですからテストに出しますよ~。

曲輪とは山頂部を削り平坦にしたところのことを言います。

今でいう天守閣みたいなものでしょうか?

ここに簡易的な小屋を立てたり、やぐらなどを組んで来るべき戦に備えていたようです。

坂戸山でいうと、この山頂部の平らなとこがそうです。

富士権現のお宮があるところは多分、後から土を盛って作ったと思われます。

これらは全て人力で工事したのでしょうから大したものです。

7合目付近、寺が鼻との分岐の手前にある平らなところも、そうですかね…??

城坂コース方面にも、かなり大きな曲輪がありますね。

こういう山頂の曲輪より一段下がったところにある曲輪は2の丸、3の丸などと後世になってから呼ばれるようになりました。

そしてこれら曲輪の周囲は自然の地形を利用しながら、急な崖になるように斜面を削りとりました。

このような斜面を切岸(きりぎし)と呼ぶそうです。

曲輪の周りの崖を急峻にすることで敵の侵入を防ぎます。

坂戸山は整備されていますので曲輪の存在も一目瞭然ですが、整備されていない山城では木々が生い茂ってしまい、その姿は確認できないことが多いようです。

坂戸山のようにこれだけきれいに遺構(昔の建物の残存物)が残されているのは珍しいことなんだそうですから、本当にありがたいことですね。

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