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曲輪(くるわ)とは?切岸(きりぎし)とは?山城の構造を図解で説明

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今回は山城の基本的構造について紹介したいと思います。

まずは「曲輪(くるわ)」と呼ばれる部分についてのお話。ややこしいですが「郭」とも書きます。

と、切岸(きりぎし)についてもわかりやすい(笑)画付きで説明しちゃいます!

これで、あなたも戦国時代の山城マスターになれるかもっ!!

 

この記事のもくじ

曲輪をつくることで山城ができる

曲輪とは山頂部を削り平坦にしたところのことを言います。今でいう天守閣みたいなものでしょうか?

ここに簡易的な小屋を立てたり、やぐらなどを組んで来るべき戦に備えていたようです。

山を平らにするだけですので、それほどの労力は必要ありません……と言いたいところですが、当時の技術ではこれでも十分な肉体労働だったことが予想されます。

 

坂戸山でいうと、この山頂部の平らなとこがそうです。富士権現のお宮があるところは多分、後から土を盛って作ったと思われます。

これらは全て人力で工事したのでしょうから大したものです。

7合目付近、寺が鼻との分岐の手前にある平らなところも、そうですかね…??

城坂コース方面にも、かなり大きな曲輪がありますね。

こういう山頂の曲輪より一段下がったところにある曲輪は2の丸、3の丸などと後世になってから呼ばれるようになりました。

 

 

切岸(きりぎし)とは

これら曲輪の周囲は自然の地形を利用しながら、急な崖になるように斜面を削りとりました。このような斜面を切岸(きりぎし)と呼ぶそうです。

曲輪の周りの崖を急峻にすることで敵の侵入を防ぎます。

坂戸山は整備されていますので曲輪の存在も一目瞭然ですが、整備されていない山城では木々が生い茂ってしまい、その姿は確認できないことが多いようです。

坂戸山のようにこれだけきれいに遺構(昔の建物の残存物)が残されているのは珍しいことなんだそうですから、本当にありがたいことですね。

 

堀について

堀(ほり)は、敵や動物の侵入を防ぐため、古代から近世にわたって、城、寺、豪族の住居、集落、古墳などの周囲に掘られた溝のことである。

容易に越えることができない幅と深さをもっている。水が張られている堀を水堀(みずぼり)といい、水の張られていない堀のことを空堀(からぼり)という。お堀ともいう。水堀に“濠”、空堀に“壕”“隍(阜部に皇)”という字を用いることもある。「隍」は、国衙や都にめぐらせた堀ともされる。堀は人工的に作られたものであるが、もともと流れていた河川などの地形を利用した場合、“天然の堀”と呼ぶことがある。
掘った結果生じる土は、多くの場合、堀の脇に積み上げて土塁としている。弥生時代の環濠集落では堀の外側に土塁を築き、古代の水城・中世・近世では堀の内側に土塁を築いている。wikipedia

坂戸山から250mくらい離れたところに「魚野川」という川が流れています。坂戸山が六日町町民のソウルマウンテンならば、魚野川はさしずめソウルリバーみたいなものです。

この魚野川は坂戸山の外堀になっています。正真正銘天然の外堀です。

そして、もうひとつ内堀と呼んでいいのかどうかわかりませんが内堀の残りのような堀が存在します。薬師尾根登り口の80mくらい手前でしょうか?

 

あそこは内堀

冬になると銭淵公園からカモが引っ越してくるこの池!これも堀の跡なんですね~。

一昨年の水害時はこのあたり、かなりの被害を受けていたので(ここよりもう少し奥のさいたま山の家の辺りは特に酷かったです)他のところよりも低くなっていているようです。

 

 

『図説中世の越後』によると<往時(昔)、城内の最も大事な防御線として利用されたこの堀は、おそらく魚野川の旧河跡を利用し、これに人工を加えて出来上がったものと思われる。>とあります。

そして下坂戸集落内の堀幅が最も狭かったようで橋を架けるのにも適していたようで、城内に通じる大手口(正面の出入り口、表玄関)でもありました。

そしてさらに<集落から北の方は、往時は魚野川が蛇行し、坂戸城の北の尾根が西に回り込んで落ちる埼に淵(銭ヶ淵)をつくり天然の要害をなしていた。また、集落から南の方は薬師尾根の埼に直接堀が接し、敵の侵入を防ぐようになっていた>となっています。

銭淵公園の裏手側にある尾根からの侵入を防ぐ役割が銭淵にはあったんですね~。

当時のひとたちの地の利を活かした戦い方にあっぱれ!を送らずにはいられません!

 

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