【坂戸山】山頂の富士権現様を祀ったのは直江兼続公という話
お城というと大阪城や姫路城などの立派な天守閣や外堀があるお城をイメージするかと思います。これらは織田信長や豊臣秀吉が活躍した安土桃山時代、近世に作られたお城。
それより以前、鎌倉・室町時代などの中世に作られていたのは城は城でも『山城』というもの。山城とは自然の山を利用して作られたダイナミックかつエネルギッシュな要塞なのであります。
坂戸山もバリバリの元山城
当時の人は山を削ったり、盛ったりして天然の要塞(専門用語では要害というらしい)を作りました。
山城に適するのは比較的低山であり遠くまで見渡せることが絶対条件。
あんまり高すぎれば行ったり来たりが大変でしょうし、低すぎれば攻め込まれやすいし眺望が悪くなってしまいます。
坂戸山は高さも頃合い(ちょっと高すぎ…?)でしょうし、適度に急峻なところもあります。夏場にあれだけ老若男女が登っているわけですから、それほど難しい山ではありませんよね。
そして山頂から魚沼盆地が一望できます。さらに7合目のあたりには水場もあり、いたれりつくせりというわけ。
山の上に居住施設を作ることは当時の技術では難しかったと思われますので、城主は普段、城下(麓)で家臣団と共に生活し、敵に攻め込まれた時に山城に立て籠もり戦いに備えたそうです。
約500年前に築城された坂戸山城は上杉謙信公の居城である春日山城に次ぐ大規模な山城であり、あの織田信長軍も攻め落とすことができなかった…とのこと。
山頂にある「富士権現」は直江兼続公が建立したと伝えられています
その他にも山頂近くには当時の山城の名残である石垣などがあり、マニアの間では萌えポイントとして有名です。
六日町住民にとってのソウルマウンテン坂戸山…。
まだ登ったことがないというあなた…
「いつ登るんですか?」
「今でしょ!?」