自由に生きるためには『選択』と『気づき』が欠かせない理由
突然ですが“自由”ってなんでしょう?
今日は“食事”という観点から『自由とはなにか…』ついて書いてみます。
今朝の朝食なんでしたか??ごはんでしたか?パンでしたか?麺でしたか?
忘れてしまったという方!いい病院を紹介しましょうか(笑)。
日本人独特な風習なんですかね~これって。
「自分の目の前に出されたものは残さず食べなければいけない」
もちろん残さないことは大切なことです。
でも、それと「食べ過ぎてしまうこと」は別な問題ですよね。
出されたものを「すべて食べなければいけない」という思い込みは『選択ができない』ということ。
それって不自由とも表現できますよね。
しかし、その間に実は…
□ 2/3食べる □ 半分食べる □ 1/3食べる □ 一口だけ食べる
細かく区切ったらキリがありませんが、本当はこれだけの選択肢があなたに与え続けられていました。
もし、それを選べないとしたら…。
繰り返しますが、それって不自由ですよね。
私が考える”自由”とは選べること
選択候補はたくさんあるに越したことはありません。
その中から自分なりに考え吟味し選び取れる…
これが自由なのではないかと私は考えています。
では、選ぶためにはどうしたらよいでしょうか?
選択肢が一つであれば選ぶことはできません。
「全部食べる」という選択を取るしかありませんね。
選択するには選択肢を増やさないといけません。
選択したかったら選択肢を作らなければなりません。
そのためにはなにが必要か…それは 『気づくこと』。
さきほどの話に戻りますが『食べる』の選択の間には無限に広がる選択肢が存在していたのです。
それに気づかなければないことと同じ。
TVのチャンネルで例えるとわかりやすいかもしれません
わたしたちがこどもの頃はそれこそ民放各局とNHKしか見れませんでしたよね。
南魚沼市の場合は選択肢が「6つ」でした。
しかし今やBSやCSなどを利用すればあんな番組やこんな番組が、昼夜問わずに見ることができます。
選択肢はほぼ「無限」。
しかし、その無限のチャンネルも”契約”しなければ見ることは叶いません。
まぁこの”契約”というのがさきほどの”気づき”に該当する事柄なのかもしれません。
電波は常時、空を飛び交っているわけですがそれを受信できなければ、ないことと同じ。
文字通り、いつも『アンテナ』を張っていないとせっかくのチャンネルも選択できないわけです。
話を戻します。
このように選択肢はあなたの気づき次第で無限大に増やすことが可能です。
「どれだけ食べるか?」だけではなく「なにを食べるか?」や「いつ食べるか?」といったところにまで応用可能。
いやいや「どう生きるか」までに応用可能な考え方かもしれません。
悩んで考えて選んで、よく食べて下さい。
選択肢はあなたが自由になれば無限に存在しますよ~。
じんぼのまとめ
『自由とは選べること』
『自由とは気づくこと』
おあとがよろしいようで…